2019.06.14

輝いた瞬間(とき)~命をかけて通った洋裁教室~

松本市のソーイングコンサルタント、
RaspberryGirl®(ラズベリーガール)オーナーの田川恵理子です。

書きたいことはありながらも、言葉がまとまらずにおりました。
本日のブログは、長くなりますが、書かせてください。

2年前の6月上旬、彼女は初めてアトリエにいらっしゃいました。
それが彼女との初めての出会いとなりました。

淡々とした口調、軸のある意志の通った話し方が当初より
とても印象的でした。

初めてお会いしたその日、体験レッスン後に
「先生、私ロックミシンを購入したいのですが。」と。
えーーーー!?もう買うのですか???まぁ、でもご本人がそう
おっしゃってるからいいのかな・・・

実は、事前にかなりの下調べをなさっていました。
今思えば、彼女のことですから当然のことでした。
とても慎重な方です。

何も知らなかった当時の私は、
ただただ驚くばかりだったのです。

衝撃的な出会いでした。
今もしっかりと記憶しています。

それから、3回。

毎週レッスンにいらっしゃり、その後、体調不良とのこと、
しばらくお休みされたのです。

どなたも諸事情があるので、仕方ない、と思いながらも、
どこか心配でありながらも、とにかく待つしかない状況でした。

お休みのご連絡をいただいてから1か月半が経過した時でした。

彼女からレッスンの予約が入り、うれしい思いと、
心配な思いと・・・複雑な思いでお迎えしたことを覚えています。

再びいらしてくださった彼女は、わずか1か月半で、かなり
ほっそりしていました。

「先生、実は・・・」

命に関わる大病を患い、術後でした。

そんなことを微塵も感じさせない彼女の
淡々としすぎる姿勢、口調。
そんなことよりも、早くミシンを踏みたい、
そんな風に聞こえました。

通院しながらも、それから1年以上、
毎週必ずレッスンを予約、受講くださいました。

彼女が毎週毎週足を運んでくださることが、
私には日常となっていったのです。

当初、開講間もない洋裁教室でしたことから、
生徒さまがさほどいらっしゃいませんでした。

アトリエに彼女と私、2人で過ごす時間が
距離感を縮めているように感じられました。

開講当初から、熱心に毎週通ってくださる彼女は、
私の中で、だんだんと特別な存となっていったのです。

当初の彼女の目的は、お孫さんにお洋服をつくりたい、ことでした。
3着、4着と黙々と洋服を作り上げていきました。

正直に申し上げると、当初はそこまでお世辞にも「上手」とは
言えませんでした。でも、そんなことはどうでもいい、と思えるほど、
彼女は最高にレッスンを楽しんでくださっていたのです。

毎回、何げなく話題に出るご家族のお話。
日常生活に欠かすことのできない洋服を、真剣に仕立てるレッスンの中で、
自然と話題に出るようになっていました。

お会いしたことのない彼女のご家族、不思議なくらいに自然とその
幸せな情景が浮かぶほどに、2年という時を経て、ゆっくりゆっくりと知ることとなるのです。

毎週のレッスンの中で、彼女自身のことを徐々に知ることとなります。

「先生、こういうものを買ってみました。」
「それはなんですか?」

縫製時や裁断時に、あまり洋裁専門の道具を使用しない私です。
彼女は、自分自身で「うまくできるように」工夫するようになっていきます。

「うまくできないので、これを使うといいかと思いまして。
許可していただけますか?」

前向きな気持ちにうなずくばかりでした。
とてもうれしかったのです。それを機に、彼女は少しずつ変わっていきました。

完成することの喜びから、美しい縫製を施すためにはどうしたらいいか、
ということへ、目的がシフトしていき、作る洋服への高い完成度、
さらに深い愛情を注ぐこととなっていきます。

毎週のレッスンで、着々と縫製技術、洋裁知識を身に付けていきました。

元々向上心の高い方でしたが、それを義務感ではなく、本当に心から
楽しんでくださってたことが、今もしっかり目に焼き付いています。

「先生、この縫製はなぜ、こうなってしまうのでしょうか。」

繊細な縫製を施したい、そんな思いがひしひしと伝わる質問が毎回の
レッスンで飛び交うようになりました。

かと思えば、ものすごくお茶目なところもありまして、
次第に、その真剣でかつチャーミングな彼女の学ぶ姿に、
周囲の生徒さんが次第に引き寄せられるようになっていきました。

彼女と一緒にレッスンを受講したい、学びたい。

そう思う生徒さんが次第に増えていきました。
洋裁教室で、彼女は次第に生徒さまの指標となっていったのです。

「先生、通院の予定を立てたいので、先にレッスンの予約をお願いしていいでしょうか?」

「逆じゃないですか(笑)」

思わず出てしまった言葉です。
でも、彼女はこう言ったのです。

「いいんです。私は、医者に人生を決められたくないんです。」

はっきりとおっしゃいました。
そのまっすぐな言葉に、私は応えたい、と素直に思いました。

「わかりました。」

心の中では、少しずつプレッシャーを感じていました。
彼女の病は、命に関わるものでした。

それでもここに来ると、そうおっしゃるのです。

「体調が良ければ来たい。」

などというあいまいなものではなく、
「命ある限り来ます。」という信念を感じました。

命をかけてレッスンをする必要がある、
私はその覚悟をしなくてはならないと、感じ始めていました。

昨年11月より、スタッフの養成講座を開講しました。
着々と技術を身に付けていた彼女に、

「商品を作ってみようかな」

という、気持ちが芽生えていたころでした。
作品ではなく商品を作るための知識と技術を養う講座。
開講した当初、3年かけて商品制作チームを
育成する気持ちでスタートしました。

半年で全14講座、
彼女は万全の体調管理を行いながら、全ての講座を受講しました。

今年1月には、たくさんの入園入学グッズを
したててくださいました。

「先生のお手伝いができれば」

その言葉は重く・・・
身に沁みる言葉でした。

この上なくうれしく、私が切羽詰まった状況で
ミシンを踏む傍らで、楽しそうに、慎重にミシンを踏んでいた
その気配を、今も背中でしっかりと感じたことを覚えています。

職人を育てるのにどのくらい時間がかかるのだろう・・・

時間が経てば人が育つ、という概念をひっくり返されました。
今年2月、彼女は養成講座受講中に、見事に商品を仕立てる技術を
身に付けたのです。それまでには、もちろん長い道のりがありました。

彼女の地道な努力は、わずか2年で商品を縫うまでのレベルに
到達したのです。

冒頭に書きましたが、最初から上手ではなかったのです。

ただ、とにかくひたすら、自分自身と向き合い、懸命に
ミシンを踏んできた、その結果が見事に実を結びました。

それだけではなく、周囲に影響力をもたらす存在となり、
彼女を慕う生徒さんで溢れていました。

しかし、彼女の体は確実にむしばまれていたのです。

4月中旬のレッスンでのことでした。

手が進まないのです。
初めてレッスンの途中でお帰りになりました。

いらしたときから体調がよくないことが伺えました。
よくないどころか、どうしてそこまでして、ここに来てくださるのか、
という状況でした。

それでも、自身で運転して、自身の足で2階のアトリエまで、
大きな裁縫箱を抱えていらしたのです。

彼女にお会いできたのは、この日が最後となりました。

彼女の信念に、この日のことを思うと、
涙が出て止まりません。

いつか、その日が来る。
どこかでそう思いながらも、認めたくない気持ちと、
怖くてたまらない日々を過ごしました。

覚悟なんてできませんでした。

********

RaspberryGirl®洋裁教室は、
彼女が最後まで、命をかけて足を運んでくださったアトリエです。

私は、洋裁教室で何を教え、何を学んでいただきたかったのか、
2年というわずかな時間と、彼女の必死に学ぶ姿から、
私が学ばせていただきました。

失った代償はあまりにも・・・大きすぎます。

でも、私は失っただけではなく、それまでにたくさんの
ことを、命をかけて教えていただきました。

一人でアトリエにいると、彼女が座っていたミシンに
彼女の面影を感じます。

優しさと、偉大さと・・・

決して弱音を吐かず、
最後まで強く生き抜いた彼女

私を「先生」と呼んでくださったこと。
でもそれは、洋裁においての話で、
実は、私が学んだことのほうが多かったのです。

そんな彼女が、最後まで愛してくれたこの洋裁教室を
私は誇りに思っています。

彼女が残してくれたこの空間を
私はずっと守り続けていきたいと、強く思います。

ずっと、見ていてください。
そしていつまでも、アトリエから聞こえる、ミシンの音、
楽しい話声、あなたの噂話を聞いていてください。